スージー・ジャクソンが誰なのか、三女の私は知らなかった。
「あれさ、スージー・ジャクソンて書いてない?」
実家で父と下の姉の3人で暮らしていたある日、上の姉の旦那さんから言われて、へっと湯沸かし器を振り返った。
たしかに、白くて四角いのっぺりした面に、達筆な筆記体で書いてある。
“Susie Jacson“
一般的に、女性の名前が家具にマジックで書かれているというのは普通でないかもしれない。
でも「桃太郎」と黒の極太マッキーで書かれた洗面器でお風呂を使うことや、「花子」と書かれた炊飯器からごはんをよそう事は、もう何年も前から既に私たちの生活の一部だったから、特別気にも留めていなかった。
電機ストーブが「聡子」。
オイルヒーターは「洋子」だった。
父が酔っぱらって書いたから、誤字もある。湯沸かし器に書かれたアルファベットの羅列に至っては、読んでもいなかったけど。
……スージー・ジャクソン??
確かに私達が小さかった頃に、外国人はよく家に来ていた。ひげがすごく長い、全身真っ黒で大きな帽子をかぶった中年男性や、棒みたいにのっぽでお坊さんの格好をした青い目の男の人をよく覚えている。
なんて言ってるかは分からなかったけど、がきんちょの私にも礼儀正しい人だった。7歳上の長姉に後で聞いた話では、その青い目の人は日本にハマって帰化したロシア人らしかった。
昔、商社マンだった父が現役で働いていた頃はそんな風に変わったお客さんが多くて、週末ごとに賑やかだった。毎晩色んなストーリーがあって、映画館みたいだった。
その頃は母も家にいたけど今となっては、こんな荒れ果てて暗い、女房に捨てられた酷い酒飲みのいる家など誰も尋ねては来ない。
壊れたまま放置された「聡子」と「洋子」。薄汚れた台所にチックタックと、時計の秒針が進むのが妙に響く。
それまでなんとも思っていなかったのに、一度気になり出したらどうしても、その湯沸かし器に目がいくようになった。外国人の女性客は、あまりいなかったんじゃないだろうか。何人か記憶がある中にスージーはいない。リアルか、フィクションなのか? 妄想した末、「スージー・ジャクションて誰」と、酔っぱらった父に聞いてみた。父は埃だらけのCDプレーヤーをいじりながら、へらへらと答えた。
「あぁ…。俺が一緒に仕事した、一番良いイギリス人」
父は酔って佳境に入ると、CDをリチャード・クレイダーマンに替えながらよくこう言った。
「スージーは良い女だったよなぁ!」
大方、仕事で飲みに行った席で知り合った女なのかな。そう思った。小柄な父よりも長身の、ブロンドに青かグレーがかった目の女性を思い浮かべる。映画『白いドレスの女(原題:Body Heat)』の中に出て来るような、巻き毛で白いワンピースを着たグラマーな女性。
私が空想好きなのは今に始まったことじゃなかったけれど、その話はそれ以上深められることなく、スージーの名前はまた以前と変わらず私たちの日常に沈んでいった。
父の習性を受けついだのか、私はよくモノに名前をつける。そうする事でモノはモノ以上の存在になり、人格をもってストーリーを語り出す。
ペットショップに沢山並ぶ子犬達から我が子を迎え入れるように、自分のなかでの特別になる。モノが無くなっても、それにまつわる記憶やストーリーは薄れることがない。私は自転車もお気に入りのバックも地球儀にも気に入ったモノには名前をつけて、心をかけた。
それらを処分したり手放すことは、「捨てる」ではなく「お別れ」だった。父がモノに女の名前を書いたのはどういう心境だったのだろう。心に楔を打つように、その人たちの記憶を埋め込んだのだろうか。
他人には言えない忘れられないエピソードが、長く生きていればひとつふたつあるかもしれない。正しいことだけを選んで生きて行けるほど、人は強くない。
それから20年ほどが経った今、私は夫と娘達と一緒に明るいリビングで毎日を紡いでいる。
数年前に父が亡くなり、私達三姉妹は色々なことから解放された。
酔って道端に倒れた父を家に引きずっていくことも、夜中に警察から電話がかかってきて応対することも、朝、救急車に乗りこみ絶望的な気持ちで取引先にキャンセルの謝罪をすることも。全部しなくてよくなった。
普通の世界に住み移った。
人が住み続けるのは困難なほどに荒れ果ててしまった実家は売った。物心ついた時から過ごした家だったけれども、良い思い出はほとんど埋もれて見つけることができなかったし、壁にも剥がれた床にも、家族全員の悲しい気持が色濃く染みついていて、遺したいとは誰も思わなかった。
父と母の若い時の写真を数枚と、私達家族がアメリカで幸せに暮らしていた頃のアルバム、父が描いた絵と俳句を書き溜めた数冊のノート、インクの出なくなった万年筆。それだけを手元に残した。
。。。
秋の初めの昼下がり、姉達と三人で集まり、家にお別れを言った。ぎしぎし言って開きずらくなった洋服箪笥や、隠れんぼしながら眠ってしまった押し入れにも。思い思いに、自分が置いて行ったままの品や汚れたアルバムを眺めている時に、上の姉がさらりと言ったのだった。
「あ、これ、スージーだね。湯沸かしの」
埃っぽいアルバムの、姉が指差す写真を見た。
アメリカに住んでいた時の色褪せた一枚。ホームパーティらしき光景の中央に、父がいた。左に大きな花柄のワンピースを着た母、右には小柄で前髪をピンで留めた、小粋なボブカットの女性が笑っている。
その人は私たちと同じような顔をした、黒い瞳に黒い髪の利発そうな女性だった。
「……スージーって、日系の人だったんだ」
「そうだよ。日本語は喋れなかったけど。お得意先の会社の、偉い人の秘書をやってたんだよ。何か父さんが仕事でヘマしたのを、内緒で助けてくれたって母さんが言ってた。その後からよくウチに来てたよ」
写真の中の三人はとても楽しそうだった。
そこに映っているのは、70年代のファッションに身を包んで、お互いを尊重して認め合い生きる、希望に満ちあふれた若者の姿だった。
私の記憶とはほど遠い父と母。
聡明さをうかがわせる、スージーの眉間と瞳。
「あったかくなるものに、女の人の名前書いてあったよね」
姉が続けて言う。
「きっと皆んな恩人だね」
がらんどうになったリビングを、改めて見渡してみる。
三女の私が家を出て、夫と二人で暮らし始めた時。
ここを少しはまともな場所にしようと片っ端からモノを捨てようとした。それを側で見ていた父は捨てないで、と言った。
「そっとしておいて。これも、ヒストリーなんだから」
父はここで、私たち娘三人を育て上げた。
途中から転がるように堕ちて行く父に私たち家族は振り回され、恐々としながら日々を生きた。
幼い頃に母から毎日、父がどれだけダメな男か聞かされて育った私は、彼は世界にたった独りなんじゃないかとずっと不憫に思っていたけど、でも父には父の、心温まるストーリーをいくつか抱え持っていたのかもしれないという希望は、私をひどく安堵させた。
壊れたものばかりじゃ、なかったんだ。
湯沸かし器には、スージーの名前がまだ残っている。
History
荒んだ家は、廃れて誰も来なくなった映画館だと思っていたけど。
見ようによっては案外、名画館だったよね。
そう言って、私達三姉妹は笑った。
窓の向こうに狂い咲きの薔薇が見える。
「スージー、まさか日本の一般家庭の湯沸かし器に、自分の名前が書いてあるなんて、夢にも思っていないだろうね」
想像するとちょっとおかしくなって。
なぜかわからないけど、涙が出た。
ありがとう、スージー。
さよなら、
あなたを忘れない。