「ばぁばのオムライスが食べたい」
夫の実家から帰る日の朝、隣の神社を散歩していると次女がそうつぶやいた。
「え? お昼は冷やし中華だって、ばぁば言ってたよ」
「うん、そうだけど。次来るの、お正月なんでしょ」
うーん、困ったな。
予定外のこと言うと、おかあさん嫌がるだろうな。私は瞬間的にそう思った。
東京しか知らない私にとって、東北の義実家で過ごすお盆と暮れは田舎で過ごす気楽なバカンス、とはいかない。
女は台所で静かに家族のために働くもの、という価値観が根強い土地で、決まったことを変わらずにとつとつと繰り返すのが何より大切な義両親のもとへ嫁いできたのが私だ。
“ルールがないのがルール” みたいな家で育った嫁がやって来たのだから、松花堂弁当にもんじゃ焼きを詰めるような感じになる。
いろいろ工夫がいる。
おかあさんは主婦の鏡のようなひとだ。よく働く。
「いんやー、たまげだな。庭の畑さ、雑草一本はえてねえんだ」
と、ご近所のおじさんがその綺麗さに目を丸くしていたし、私は台所で三面鏡並みに磨き上げられた換気扇を見上げるたびに、 “イナバ物置” のCMに合わせてこう口ずさんでしまう。
「やっぱり遠藤家、換気扇までぴっかぴか!!!」
きっちりした性格は私たちがいる間のメニューにももちろん発揮されていて、
あらかじめ全日程×3食分、きっちり組んでくれている。
最終日のお昼は12時になったら、どこかからお中元でいただいた冷やし中華だと、おかあさんは着いた日に言っていた。そして今日はその最終日。
「このタイミングでオムライスかー。ハードル高いな...」
献立の変更をお願いするのは、私にはなんて言うか、ちょっとした覚悟がいる。夫に聞くと、言わないほうがいいよ。機嫌悪くするよ、と予想どおりの返事。
「でもばぁばのオムライス、好きなんだもん」
次女は無邪気に言う。うんうん。
分かるよ、分かる。お母さんももばぁばのオムライス、好き。
ピーマンと人参にハムが入った、ナポリタンが出て来る喫茶店にあるような懐かしい味わい。
塩コショーと卵がふわっと絶妙で、ひと口食べるとお腹いっぱいなのについ、ぱくぱく食べてしまう……。黄色い誘惑がもくもくと広がってくる。
そこでふと気づく。
あれ、ばぁばの作るごはんが好きだってこと、私って伝えたことあったっけ。
素敵と思ったこと、ちょっとしたひらめき。沸き上がる自分の素直な感情。
名付けて“ハートのメッセージ”を、私はふだんから大切にしている。
自分も作品づくりをしているので、素敵だと言ってもらえるのは単純に嬉しい。だから人にも伝える。「あなたの○○が好き」と。
素直さは私の取り柄だったし、それは次女も同じだ。なのになぜ、おかあさんに「オムライスが食べたい」と、言えないんだろう。
毎食、量が多くてもて余すけど、畑で採れた野菜でふるまわれる手料理はどれも美味しい。ばぁばにしたって、ただ献立を変更してって言われるのは嫌だろうけど、「ばぁばの作ったオムライスが好き」と孫に言われたら、そんなの嬉しいに決まってる。
今回伝えなかったらこの子は、せっかく芽生えたピュアな気持をそのまま伝えようと、果たしてこの先も思うかな。この子のハートのメッセージを、摘み取ってしまうことにならないかな。
娘たちには、好きなものは好きと言ってほしい。
ほんとは言いたいのに、ここで言うのはやめておこうって大人みたいに頭で考えないで、素直に。
言おう。言った方がいい。
ううん、言うべき。
神社から家に戻るころには、次女のオムライス問題は私の人生観のテーマにすりかわっていた。玄関脇の水場で手を洗いながら、私は次女にこう提案した。
「じゃあね、ばぁばにね、ばぁばのオムライスが好きだから食べたいって、正直に言ってごらん。作ってくれるかどうかは分からないよ、事情があるからね。でもその気持、そのまんま伝えてみよう。言われたらばぁば、嬉しいと思うよ」
オムライスを食べさせてもらえるかどうか、それは分からない。でも大切なのはオムライスが出て来るかどうかじゃない。ダメ元で言ってみよう、ダメなら潔く退こう。
台所にいるおかあさんに、オムライスを作ってもらえないかとそっと話しかけてみると、予想通りおかあさんは眉間にシワを寄せた顔で手を止めた。
「えぇー? したっけ、お昼は冷やし中華だよぅ?」
間髪いれずに次女が言う。
「うん、あのね、冷やし中華も好きなんだけどね、ばぁばのオムライスがね、大好きだから、食べたいの」
「私も好きなんですー。でもおかあさんが大変だったら、もちろん冷やし中華で……」
神判を待つような気持でお母さんの反応を伺うと、拍子抜けするほどあっさり言われた。
「んじゃ、子ども達だけ作ってやっから。いや、大丈夫か、冷やごはんあっから。大人は皆んなひと口分で良いねぇ?」
やった!!!!!
オムライス、出たーー!
やっぱり、なんでも言ってみないと分からない!
わーいと次女が喜ぶ。
おかあさんは困るねぇ、冷やし中華が残っちゃってぇとブツブツ言った。嬉しそうにニコニコしながら。
彩りが楽しいほかほかのオムライス、しっとりしていてやっぱり美味しい。次女は目をきらきらさせながら、ケチャップでオムライスにハートを書いた。
田舎の“ひと口”は、東京での大人の一人分をさす。
ぱんぱんになったお腹を抱えて東京に戻り体重計に乗ると、私の体重は3kg増えていた。